「コクリコ坂から」なぜ先生は出ていったの?集会で歌うシーンを考察!

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コクリコ坂からは1960年代が時代背景の作品で、ちょうど戦争の傷が癒え始めたころで高度経済成長期に入っている時です。時代変化が激しい時で、東京オリンピックが翌年に行われた年です。

このころは学生運動などがさかんで政府に不満をためている国民が多く、学生運動なども勃発していて当時でいえば大変だった時でしょうが、今から考えると学生自身が政府や国の考えなどに提言したり真剣に考えたりするという主体性を持っているのは素晴らしいことですよね。そういう意味でもこの作品はたくさん考えさせられることがあるので、SNSでも様々な考察が出回っているのです。

今回の記事では、

  • 「コクリコ坂から」なぜ先生は出ていったの?
  • 集会で歌うシーンの考察!
  • 集会の歌って何?

などを紹介していきますので、学生運動の一環の集会での出来事、ちょっと感動するのでのぞいてみてください。

目次

「コクリコ坂から」なぜ先生は出ていったの?

コクリコ坂からの作品で、学生たちが港南高校で放課後に全学討論集会を行っていました。そこでは「カルチェラタン」の今後の方向性で残す、壊すという派閥に分かれて討論していました。こういう討論はこの時代行われるのは通常のことですが、学校側としてその討論を止めるというのはできる立場にありません。

そして当の学生たちとしても先生を介入させないで自分たちで意見をまとめて決めたいという思いがあるのです。

ただし、もちろん賛成派と反対派の派閥ができているので、揉めるのは目に見えています。そして討論会といえば必ず揉め事が起きて激化してその先に暴動などが起きるのですが、このカルチェラタンの今後についての討論会でもやはりつかみ合いが起こりそうになりました。

つかみ合いが始まろうとしたまさにそのタイミングで水沼がなぜか歌を歌いだし、すると周りも自然に歌いだすではありませんか!今激突していた派閥も関係なく全員が歌を歌うのです。

その時です。先生二人がそこに入ってきたのです。そして先生は何も言わずに立ち去りました。

なぜ何も言わなかったか?それは先生が見に行くとただ学生は歌を歌っていただけだからです。

要するに先生たちとしては見回りに来て暴動が起きていたら止めて学校側に報告して学生には処分・・という流れになるでしょう。

学生たちとしてはもちろん賛成派反対派はあっても、学生たちで決めたいという気持ちはどちらの派閥も同じ。だからこの討論会を止められるわけにはいかない。でも揉め事と先生が判断すればこの討論会は終わる。だから先生たちが来る!と分かって暴動をいったん中止し、そこにいた全員が何もなかったかのように歌ったのです。

そして先生は、暴動が起きてもめていたことも本当はわかっていたのではないかと思います。でも学生たちの思いを尊重してあげたいという気持ちがどこかにあって、先生は目の前で暴動が起きていたら立場上報告は必須。でも実際目にしたのは学生の合唱。だから問題ない・・ということで、いえ、そういうことにして出て行ったのです。

ここでは先生も両派閥もみんな同じ思いを持っていたということでしょう。

先生がすべて把握していた証明に先生は出ていくときにニヤッと笑っています。その心のうちは「うまいことやったな」ということでしょう。

なんだかこの流れ、とても感動しませんか?

集会で歌うシーンの考察!

カルチェラタンの取り壊し賛成派閥、反対派に分かれて討論会が行われていて、水沼が急に歌ったのは「白い花の咲くころ」という歌でした。

討論会も隠れてやっていたわけではなく新聞でも宣伝、看板告知もして派手に言いまわっていたので学校側は行われるのを知っていたでしょうね。

そして討論の時にはルールがあり、学校側は禁止してはいけないのもありますが、そもそも学校や校長の思いとしては改装反対の意見は好ましくないとは心のうちで思っていたでしょう。

討論会で暴動や何かしらの問題が起きればもちろん生徒は処分ですが、学校としても先生としても立場が悪く教育委員会みたいなところからもお咎めがあるはずなので、問題が起きることは避けたい。だから問題が起きれば即効討論会をやめさせなければいけません。

でも先生たちの中でもカルチェラタンへの思いはあり学生の気持ちも理解している部分があるのです。

それを考えると討論会を中止できないからやってもOK。でも問題は起こすな。ということを学生と暗黙の了解としていたのだと思います。

そして歌を歌ったのは学生のアイデアなのか、もしかして学校側から知恵、アドバイスを裏でもらっていたのかそこらへんはわかりませんが、先生の立場としては問題が起きていないので見回り完了!ということですよね。

「心配して見回りに行ったけど、学生たちはみんなで歌を歌っていましたよ!」という報告にならざるおえませんもんね!

集会の歌って何?

集会で水沼が先頭を切って歌いだした歌は、「白い花の咲く頃」という歌です。

この歌は、1950年の歌で、戦争が終わって、混乱も収まってきたころNHKラジオ歌謡から出された曲で岡本敦郎さんという方が歌っていた歌です。

少し切なげでキレイな雰囲気の歌ですよね。

この歌の背景は戦争の復興のころに卒業式が終わり田舎から都会へ行く若い人たちのふるさととの別れを歌われたものなので少し切ない感じがするのですね。

ちなみにこの時代の背景として歌謡曲が流行しラジオ歌謡がいつも流されていたころなのです。そして歌声喫茶などもたくさんあり、単身で東京に移住する若者のさみしさをいやすものが歌にもなっていたのです。ちなみに歌声喫茶ではそこにいるみんなで歌を歌っていたそうですよ。

この戦争復興の歌、学生から大人になる過渡期の歌をあの集会で歌うことは、先生たちに文句を絶対言わせない!という意思が込められていたのかもしれません。

まとめ

「コクリコ坂から」のシーンで学生たちがカルチェラタンの今後について賛成派と反対派の派閥で討論会が行われていて、まさに討論が激化してつかみ合いになりそうでした。しかしそのまさにつまみあう瞬間に水沼が歌いだし、それを皮切りにそこにいた全員が歌いだしました。

そのタイミングで先生が見回りに来て、にやっと笑って帰ったのは揉めていたのを知っていたけど、実際に目にしたのは学生が歌を歌っているだけだったので、問題なし!ということで無言で去って行ったのです。生徒と先生、それぞれの派閥全員の暗黙の了解でした!

なんかそのシーンを思い浮かべたら感動しますよね。

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