スタジオジブリのアニメ映画『コクリコ坂から』は、2011年に公開された宮崎吾朗監督の第2作目です。原作は高畑勲監督の娘である高畑結希さんの少女漫画で、昭和38年の横浜を舞台に、高校生の海と俊の恋愛を描いた作品です。
しかし、この作品はジブリファンからも賛否両論が巻き起こりました。なぜなら、海と俊は兄妹だと知ってしまっても恋に落ちてしまうという、禁断のテーマを扱っているからです。
そこで今回は、『コクリコ坂から』が意味不明と言われている理由や、セリフやシーンについて調べてみました。また、実際に観た人の口コミや感想も紹介します。
「コクリコ坂から」は意味不明?
海は母親が亡くなった後、父親が朝鮮戦争で行方不明になったため、母方の祖母・松子さんの家で暮らしています。松子さんは横浜で旅館「コクリコ荘」を営んでおり、海も手伝っていました。
俊は東京から横浜に引っ越してきた高校生で、海と同じ学校に通っています。俊は父親が原爆で亡くなり、母親も病気で入院しているため、叔父夫婦の家で暮らしています。
海と俊は偶然出会ったことをきっかけに仲良くなりますが、ある日、俊が海の父親の写真を見て驚きます。それはなぜかというと、その写真に写っている人物は俊の父親だったからです。
つまり、海と俊は同じ父親を持つ兄妹だったのです。しかし、その事実を知らなかった2人はすでにお互いに惹かれ合っており、「兄妹でも好き」と告白し合います。
この展開は原作漫画に忠実に再現されたものであり、最終的には海と俊が兄妹ではなかったことが判明します。「兄妹でも好き」というセリフは純粋な気持ちからで、近親相姦を美化していません。
「コクリコ坂から」の意味不明なセリフやシーンを調査!
『コクリコ坂から』には、兄妹の恋愛だけでなく、他にも意味不明と言われているセリフやシーンがいくつかあるので、その一部を紹介します。
①池に飛び込むシーン
しかし、これはあまり納得できる理由ではありません。池の水は防火水槽よりも冷たい可能性が考えられ、逆に体温を下げることになりそうです。風邪を引いているのに水に入ること自体が意味不明なのです。
このシーンは原作漫画にもありますが、そこでは俊は「風邪を治すため」という理由ではなく、「気分転換」という理由で池に飛び込みます。これならば少しは納得できますが、映画版ではなぜこの理由が変更されたのかは不明です。
②海の母親の発言
海の母親・澄子さんは、海外から帰国したあと、海が俊と恋仲であることを知ります。海が、俊が父親の子だとしたらどうするかと尋ねると、澄子さんは「会いたい。この写真に似ているか」と答えます。
この発言の意図は何だったのでしょうか?一説によると、澄子さんは自分の夫が朝鮮戦争で行方不明になったあとも生きていることを信じており、その夫に似ている子供がいれば会ってみたいという気持ちだったのではないかという説があります。
「コクリコ坂から」をみた口コミは?
『コクリコ坂から』は意味不明だと批判される一方で、高く評価する声も少なくありません。その一部を紹介します。
・「昭和38年の横浜を舞台にした青春物語。兄妹だと知っても恋に落ちるという設定は気持ち悪いと思わなかった。むしろそれが2人の純粋さや強さを表していると思った。最後には兄妹ではなかったことがわかってハッピーエンドで良かった。」
・「宮崎駿監督と宮崎吾朗監督の親子コンビが作り上げた作品。宮崎駿監督の昭和への郷愁やメッセージ性と、宮崎吾朗監督の現代的な感性や表現力が融合した作品だと思う。カルチェラタンは学生たちの自由な発想や創造力の象徴で、それを守ろうとする姿に共感した。」
批判的な意見だけではなく、むしろ良作と捉えている視聴者も多いことがわかりました。
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まとめ
『コクリコ坂から』は、兄妹だと知っても恋に落ちるという禁断のテーマを扱っているため、気持ち悪いや意味不明という批判もありました。しかし、実際に観た人の口コミや感想を見ると、昭和の世界観や青春時代に思いを馳せる人も多くいます。
『コクリコ坂から』は、宮崎駿監督と宮崎吾朗監督の親子コンビが作り上げた作品であることや、ジブリらしい美しい映像や音楽が魅力的であることも見逃せません。
『コクリコ坂から』は賛否両論が巻き起こった作品ですが、それだけにいろいろな見方ができる作品でもあります。ぜひ一度観てみて、自分なりの感想を持ってみてください。