ジブリ映画「コクリコ坂から」は、1963年(昭和38年)の横浜を舞台にした青春物語です。主人公の海と俊は、高度経済成長期真っ最中にある日本で、東京オリンピックや黒部ダムなど時代の変化を目の当たりにしながら、自分たちの居場所や未来を模索していきます。
映画では、当時の横浜の風景や建物が細かく再現されており、ノスタルジックな雰囲気が漂っています。そんな「コクリコ坂から」の舞台となった場所を探してみましょう。
「コクリコ坂から」の舞台となった場所はどこ?
タイトルである「コクリコ坂」は、海からコクリコ荘に続く坂道という設定です。こちらも架空の坂道ですが、「本当にありそう」な坂道として以下の場所が挙げられます。
【コクリコ坂】
谷戸坂
元町から港の見える丘公園に続く坂道です。
チドリ坂(別名ムジナ坂)
港の見える丘公園内にある大佛次郎記念館から新山下に続く坂道です。
代官坂
代官坂のふもとにある肉屋さん「丸英商店」は、映画で俊がコロッケを買って海に渡すシーンのモデルとなったと言われています。
- 所在地:神奈川県横浜市中区山手町
- アクセス:みなとみらい線「元町・中華街駅」から徒歩10分
【コクリコ荘】
根岸なつかし公園にある旧柳下邸
洋と和が融合した近代和風住宅で、大正中頃に建設された歴史的建造物です。横浜市指定有形文化財に認定されており、内部も見学できます。
- 所在地:神奈川県横浜市磯子区下町10
- アクセス:JR京浜東北・根岸線「根岸駅」から徒歩8分
港の見える丘公園にある大佛次郎記念館や神奈川近代文学館
港の見える丘公園には、映画記念スポットとして「U・Wフラッグ」を掲げたポールとパネルが設置されています。
大佛次郎記念館は、作家・大佛次郎の旧居で、洋風建築です。
神奈川近代文学館は、文学者や芸術家が多く住んだ山手エリアの歴史や文化を紹介する施設です。
- 所在地:神奈川県横浜市中区三春町114
- アクセス:みなとみらい線「元町・中華街駅」から徒歩15分
本当にありそうな坂道「コクリコ坂」や「コクリコ荘」は架空の建物ですが、モデルとなった場所をいくつか紹介しました。気になる方は、現地に足を運んで、コクリコ坂からの世界観を、肌で感じてみてくださいね。
カルチェラタンは存在するの?
カルチェラタンは架空の建物ですが、名前や建物の由来となった場所をみていきましょう。
カルチェラタンの意味・由来
カルチェラタンの建物は、宮崎駿氏がデザインしたもので、元々「明治時代に建てられた清涼荘という寄宿舎だった」というストーリー設定があります。そのモデルとなったと言われているのが、日本人による初めての私立女子校として1875年(明治8年)に誕生した跡見学園です。跡見学園は、和洋折衷の内装や良妻賢母女子教育の先駆けとなった学校でした。
「コクリコ坂から」の元ネタは存在する?
宮崎吾朗監督が、参考にしたとされている、1963年公開の青春映画をいくつか紹介します。
『若者たち』
監督:小林正樹
出演:石原裕次郎、浅丘ルリ子、佐久間良子、加山雄三、梶芽衣子など
概要:東京オリンピックを控えた1963年の東京を舞台に、若者たちの恋や夢や友情を描いた群像劇。
『太陽がいっぱい』
監督:ルネ・クレマン
出演:アラン・ドロン、ロミー・シュナイダー、モーリス・ロネなど
概要:南仏の港町を舞台に、裕福な夫婦の間に入り込んだ若者が巻き起こす愛憎劇。
これらの作品は、1963年に日本で公開されたもので、当時の若者たちの生き方や感情を赤裸々に描いた作品です。宮崎吾朗監督は、これらの作品から「コクリコ坂から」のキャラクターやストーリーに影響を受けたのかもしれません。
「コクリコ坂から」は元ネタを参考にしながらも、独自の世界観やメッセージを伝える作品となっています。ただし、映画の世界観やメッセージについては、筆者が映画を見た感想や解釈を述べているだけであり、宮崎吾朗監督の意図とは異なる場合があることをご了承ください。
コクリコ坂からに関しては以下も検索されています、ぜひ参考にしてください!
まとめ
「コクリコ坂から」の舞台となった場所は、1963年の横浜にあります。映画に登場する建物や風景には、実在のモデルがあります。
宮崎吾朗監督は、「コクリコ坂から」の制作にあたって、1963年公開の青春映画「若者たち」や「太陽がいっぱい」などの作品を見て感銘を受けたのではないでしょうか。
横浜に行く機会があれば、映画の世界観を感じながら散策してみてくださいね。