美女と野獣がどういうことを伝えたいと思っているのかについて一番言われているのは「真実の愛」です。そして物語をたくさんの人が見て自分たちなりに解釈している中で、真実の愛ももちろん伝えたかったことではあるけど、もっと重要な部分がたくさんあるようです。
実際演じたエマワトソンさんも自分なりの解釈で美女と野獣のお話の重要なポイントを語っていたのはフェミニズムのことだったりします。
一番わかりやすく説いてあるのは単純に「人は見た目で判断できない」ということ。野獣と美女が恋して実るので見た目だけでは判断できないということをわかりやすく表現してあります。しかしそのようなわかりやすくない面でも実は細かなところにたくさんの愛が込められている作品なのです。
今回の記事では、
- 美女と野獣でベルを自由にした理由とは?
- 美女と野獣の真実の愛について
- 美女と野獣のテーマは真実の愛なのか!?
などを紹介していきますので、この美女と野獣が伝えたかったことを最後までよんでぜひ感じていただきたいと思います。
美女と野獣でベルを自由にした理由とは?
ベルと野獣はお互いに徐々に惹かれ合っていきます。でもベルは城に閉じ込められている状況はそのまま。そして野獣が王子に戻るには、誰かを愛し、愛されることが条件ですよね。
野獣は本当の愛というものが理解できたからこそ、本気で愛したからこそベルを自分のものにするのではなくベルの幸せを願ったのです。
それがひとつわかりやすいシーンとして、舞踏会の後に野獣はベルといて楽しいか聞くと楽しいと言いながらもモーリスに会いたいと寂しそうな表情をした時、こんなにも城の中でみんなと楽しく何不自由なく暮らせていても、家族への愛は消えないのだと思い知らされます。そして城の中がどれだけ恵まれていようが、城に囚われているのには変わりない・・そうベルにはこの時自由がなかったのです。
野獣はベルに「自由を与える」ために手放したんですね。
それともう一つ、父のモーリスはガストンと民衆に精神病院に連れていかれる途中だったのですが、その父親の状況にベルはものすごく心配をしているのも野獣はわかっていたのです。自分が愛する故にしてあげる事は父の元へ向かわせてあげる事です。
ここで、野獣はベルを行かせなければ一生一緒にいれるし、ここで行かせたら一生戻ってこないかもしれない・・寂しさもあるし、自身が人間に戻れないというリスクもあります。
それを承知でベルの自由とベルの家族への思いを叶えたということ。これは本気の愛である証明だと言えるでしょう。
美女と野獣の真実の愛について
前項で説明したのがまさに野獣が本気で真実の愛を知ったということの証明です。
実写版ではわかりやすくベルを自由にした後に野獣の名曲が挿入されています。
愛を知った、愛を知ったからこそ幸せも感じて痛みも感じる。愚かだった過去の自分に公開をしていて今も愚かだったと思いながら、いつか、ベルが戻ってくて自分を愛してくれるという夢を見よう・・という曲なのです。
さて、ベルの野獣への愛はどうなのでしょうか?
ガストン達が野獣を殺そうとしている時に野獣を助けるためドレスを脱ぎ捨ててまで走って野獣の元へ向かいました。もちろんベルは野獣といると楽しくて好きだったのですが、それが愛だと気づいたのはまさに野獣が死ぬかもしれないという間際です。
ベルの愛の告白は間に合うことなくバラは散ってしまうのですが、アガットの前ではちゃんと愛があることは証明されたからこそバラはよみがえり、使用人たちと野獣たちの呪いは解かれました。
思い合った二人がこのハッピーエンドを作り出したのです。
美女と野獣のテーマは真実の愛なのか!?
美女と野獣のテーマは「真実の愛」と言われています。ただ、たくさんの解釈があり真実の愛ではない、真実の愛以上に大切なものが書かれているなどそれぞれの個々の受け取り方があるようです。
例えば、この話は寓話で、ヨーロッパ貴族が階級社会で貴族の結婚において起きる問題を解決するためのおとぎ話をして作られたという声もあります。
また、ベルを演じたエマワトソンは以下のように自分の信条と重ね合わせた見方もしています。
女性と男性というフェミニズムをしっかり表している映画で、女性と男性を探求している映画だと思うという男女の在り方の面から物語を見ている側面もあったようです。
もう一つ多いのは「偏見」。野獣という姿に囚われ人の内面を見ないことや見た目での偏見などをしないで中身をちゃんと見ようという訴えです。これも大きくとらえれば人類の愛ともいえるのかもしれません。
美女と野獣に関しては以下も検索されています、ぜひ参考にしてください!
まとめ
美女と野獣でベルを自由にした理由とは、野獣がベルを本当に愛し、真実の愛に気付いたからこそ、愛している相手の本当に望むことをかなえてやることが愛だと知ったからです。自分のものにしたいならこのまま優しく楽しく不自由なく暮らすこともできたけど、ベルが本当に望んでいたのは、父を助ける事と自由が欲しいこと。
ベルを愛したからこそ自由にしたということでしょう。
この物語はまさに真実の愛を語ったものでもありますが、一方で偏見や男女の在り方なども語られているという見方があります。
壮大な視点でいえば、もちろん恋人同士の愛もそうですが人間同士の愛という意味の大きな括りの真実の愛なのかもしれません。