映画「余命10年」小説として原作はあるのですが、活字で見るのと、声を聴いて動いている人間で表現されるのとではリアリティが違います。
原作は小説家の小坂流加さんの作品なのですが、実は小坂さんはすでに逝去されているのです。それもあって今回の映画は原作とあえて少し変えて、より小坂さんに近づけたストーリーに仕上げてあるんだそうです。
最初から違うとわかっていて見ると思いや意図が伝わり見やすいかもしれませんね。意図があって変えてあるのでギャップなども生まれないように思います。
今回の記事では、
- 余命10年原作と違うのはどこ?!
- 余命10年泣けるポイントは?
- 余命10年原作と映画どっちが泣ける?
などを紹介していきますので、余命10年の映画と原作の違いや話のポイントなどを知ってぜひ映画を見てみてください。
余命10年原作と違うのはどこ?!
「余命10年」の映画と原作はけっこう違いが激しいです。
というのも、あえて変えているというのが今回の映画なので、それを理解していれば、どちらも違った見方で良さを感じられるように思います。
今回、映画と原作が大きく違うわけは、原作者の小坂流加さんの人生に近づけて作ったからと明確に言われているので、ギャップや比較してどうのこうのという感じではなく、それぞれに感じるものがあります。
大きく違う点を以下に紹介していきます。
最後のシーンが全く違う
この最後のシーンは一番意図的にかえられた部分だと思います。
端的にいうと、原作では茉莉と和人は別れて死ぬまで会えず、和人はお葬式で茉莉と対面し泣いたのに対して、映画は、茉莉が亡くなる前に和人と会えて、「茉莉ちゃんがんばったね」と声をかけ茉莉も笑顔で反応したという流れなのです。
亡くなる前と亡くなった後に会うのは180度違うと言っても過言ではないですよね。でも、原作を見ている人すらこの違いに「よかった」と思っている人が少なくないのではないと思います。
その続きとしても映画は和人がお店から独立し自分で店を持ち独り立ちしていくという希望が見えているところまで描かれていてなんだか安心したのは私だけでしょうか?
これが原作と映画が逆だったら良いと思えないけど、原作が寂しい、切ないというのを知っていて、映画の同じいなくなるという内容でも心あったまった切なさに感じることができます。
茉莉の趣味や特技
キャラクターの設定も結構違っています。
茉莉は原作ではコスプレ、アニメ好きのオタク気質で漫画を描いていました。しかし映画では、ライターの仕事をしていて、自分でも執筆をします。
この執筆の本が「余命10年」ということで、茉莉は原作筆者の小坂さん自身ではないかというイメージが付きます。
和人の人生
原作で和人は茶道の家元を継ぐ立場で、継ぐかどうか迷っているという設定でした。
映画では、会社社長の息子で、継ぐ、継がない問題は同じですが、結果的に自身で居酒屋を経営していくという設定になっています。
余命10年泣けるポイントは?
「余命10年」はタイトルだけでも泣けてくるほどですが、内容的に泣けるポイントはどこにあるのでしょうか?
しかしところどころ泣くポイントがあるのです。家族がらみのシーンなどは特に胸が痛くなりました。
- 肺移植を勧められるが茉莉が断り出て行った後の母が泣いているシーン
- 和人が別れの時、子供のように泣きわめくシーン
- 旅行から帰った茉莉が母の肩で泣くシーン
- 茉莉が見た幸せな未来の夢のシーン
余命10年原作と映画どっちが泣ける?
余命10年原作と映画どちらが泣けるかは人の感性によって違うでしょう、
実際見た人のコメントでも、原作が泣けた、映画が泣けたはそれぞれだったようです。
しかし小説には書かれていて映画ではカットされているシーンやエピソードもいくつかあってその点を踏まえて原作が泣けるという人も多いです。
特に原作は、最後会えなかったという点、後悔を残して亡くなった点など切ない部分が多く、泣いてしまうシーンが多いとのこと。
こればかりは個々の感性や好みの問題ですね。
「余命10年」は以下も検索されています、ぜひ参考にしてください!
まとめ
映画余命10年は原作と結構違います。
しかしそれは意図した違いであり、原作筆者の小坂さんの人生により近いものになるように改変されているのです。
キャラクターの設定が大幅に違ったり、シーンも大きく変わっていますが、特に最後のシーンでは、お葬式で再会するか、まだ亡くなる前に再会するかの大きな違いがあります。
映画、原作、それぞれに良さがあり、比較することは難しいでしょう。