ディズニー映画ノートルダムの鐘は、深いストーリーであることが有名です。子供にはちょっと理解しづらい大人向けの映画ですが、大切な教訓がちりばめられています。
公開が決まってポスターなどが出てきたときに、すでに主人公の姿に衝撃を受けました。
それがのちに、この物語の伝えたいことに繋がるのですが、「人は見かけで判断してはいけないこと」「見た目より中身が大切なこと」です。それを映画のストーリーや絵に合わせて表現し伝えてくれている物語なので、本当は子供に見やすいといいなと個人的には感じます。
今回の記事では、
- ノートルダムの鐘で伝えたかったことは何?
- ノートルダムの鐘原作との違いは?
- ノートルダムの鐘劇団四季との違いは?
などを紹介していきますので、ノートルダムの鐘の教訓や作品の違いをチェックしていきましょう。
ノートルダムの鐘で伝えたかったことは何?
ノートルダムの鐘で伝えたかった事、それは以下のようなことです。
本当に大切な事で、大人から子供まで教訓にすべき事柄ですよね。
差別、偏見は、このノートルダムの時代からは少なくなってはいますが、まだまだゼロとは言えません。
確かに、「カジモト」の姿は醜いですが、カジモトこそが心のきれいな人間でモンスターではありませんよね。それを大人は理解するのですが、本当に心から理解できているかどうか問われるところです。
心が美しいという定義は、見た目ではなく、着飾る外見でもなく、地位でも名誉でもないのです。人への思いやり、偏見を持たないこと、そういう内面があるかどうかで相手を見極めることが大切だと言っています。
ヒロインのエスメラルダは外見が美しい上に心も美しい女性。でもジプシーという立場から、迫害され、レッテルを貼られて偏見を持たれています。その人自身を見ないで、肩書、立場だけを見て判断してしまっています。
逆に、悪役のフロローは、判事という名誉ある地位につきながら、心はモンスターです。でも名誉ある肩書から、他の人から信頼を得るのです。
周囲がどんな判断をしようと、自分の判断は偏見や差別がなく心をみた判断をしたいですね。
ノートルダムの鐘原作との違いは?
ノートルダムの鐘は、映画と原作と舞台などがあります。
それぞれにすこしづつ設定やストーリが違っているのです。でも、小説の原作が一番シビアだと言われています。
映画と原作が一番違いが大きいですね。
原作は「ノートルダム・ド・パリ」という物語。
この最終的な結末が一番大きな違いと言えるでしょう。
そのほかには細かい設定が違いますね。
映画でのカジモトの性格は「優しい」けど、原作では「いじわる」なんです。
実は原作のカジモトは、耳が聞こええませんので、設定も違いますね。
映画でのフィーバスは「正義のイケメン」で、原作では「いいかげんなイケメン」です。
このように違いは結構多くありますよ。
ノートルダムの鐘劇団四季との違いは?
ノートルダムの鐘は劇団四季の舞台もあります。
この劇団四季もまた、映画にも原作にも違うところが多くあるのです。
その他、原作にいる「グランゴワール」は舞台にはでてきませんし、フロローは舞台ではそこまで悪役という①でもありません。
さらにノートルダムの鐘は、映画だけの曲、舞台だけの曲など音楽的なところも結構違っているのです。
まとめ
ノートルダムの鐘で伝えたかった事、それは以下のようなことです。
「相手がどういう人間かを判断する時に、外見ではなく、中身をみよう」 「大事なのは外見ではなく人柄である中身」 「心が美しいと顔も美しく見える、心が醜いのが本当のモンスター」
今も昔も、大人にとっても子供にとっても大事な事ですよね。
ノートルダムの鐘には、小説、映画、舞台などさまざまな作品があり、すこしづつ設定やストーリー登場人物も違います。
全部見て全部を楽しめると良いですね。