「余命10年」の映画のストーリーは、主人公の茉莉が不治の病に侵され、余命10年になってしまう話です。余命10年は原作が小説で、原作の著者も病気で逝去しているのです。今回映画製作にあたり、この原作を少し作り変えているため、映画と原作のラストシーン、いわゆる重要な場面で違いがあります。
病に侵された茉莉は、未来がないからもう恋はしないと決めていたのですが、和人に恋をしてしまいます。そこから和人と余命の期間で楽しい時間を過ごし、でも自分には時間がないから和人と離れることにして最終的に亡くなったというのが想起されるようになっています。
原作ではお葬式に行くので、亡くなったことはダイレクトにわかるのですが、映画では茉莉が亡くなる前に和人と会っていることになっています。
そして映画のラストシーン、和人はだれかと話しながら歩いていてその手には白い花束を持っています。
その電話の相手に「もうすぐ着くよ」と話しているのですが、いったいこの電話の相手は誰で、この白い花束は何のために持っているのでしょうか。
今回の記事では、
- 「余命10年」ラストシーンの花束の意味はなに?
- 「余命10年」ラストシーン和人の電話の相手は誰?
- 「余命10年」原作のラストシーンはどうなってる?
などを紹介していきますので、映画「余命10年」のラストシーンを一緒に考察していきましょう。
「余命10年」ラストシーンの花束の意味はなに?
「余命10年」のラストシーンで、和人は電話をしながら片手に白い花束を持っています。
この花束の意味は何なのでしょうか?
この白い花束の種類は「薔薇」。
白いバラは、永遠の愛、新たな始まりという花言葉があります。
茉莉に対しての永遠の愛を持っていること、そして和人がこれから未来に進む決意をしたことを同時に表す白いバラを選らんで花束にして、お墓参りに向かっているのではないかと推測できます。
一方、映画を見た方のある推測では、実は映画の茉莉は一命を取り留めていたのではないか?そして以前失敗したプロポーズをしに茉莉の元へ花束を持って向かっているのではないかという説もありました。
それも想像の範囲でいくととても素敵なお話だなと感じますね。
「余命10年」ラストシーン和人の電話の相手は誰?
余命10年のラストシーンでは、和人が花束を持って歩きながら電話をしています。その電話の相手に「もうすぐ着くよ」と話していました。
さて、この電話をしている相手は誰なのでしょうか?
前項で話した通りの流れであれば、和人はお墓参りに向かっています。お墓参りは1人ではなくだれかと待ち合わせていくつもりなので、もうすぐ着くと言っているのでしょう。
もう一つ、実は一命を取り留めている茉莉に会いに・・ということであれば、この電話の相手も待っている茉莉への連絡ということにもなりますね。
「余命10年」原作のラストシーンはどうなってる?
映画のラストシーンは、花束を片手に電話をしている和人のシーンでした。
原作のラストはどうなのでしょうか?
実は映画では、直接的に茉莉が亡くなったことは表現されていません。原作は亡くなってから茉莉に初めて会うので亡くなっていることは表現されています。
そして原作は5年後まで及びます。
その二人の思い出を捨てて新たな道を行くというつもりで、小学校の焼却炉にペアリングを捨てるのですが、実は8年前、茉莉がこの同じ場所で自分の気持ちをつづったノートを捨てたのです。そのことを知り涙を流しながら前に進む決意をしている表情の和人で物語は閉じます。
ちなみに原作者の小坂さんは、この茉莉と同じ病気でこの世を去ります。このお話はもちろんフィクションとして作られているのですが闘病しながら小坂さんが執筆した作品ですので、茉莉の考えや思いはおそらく架空のものだけだとは言い切れません。
その思いも組んで今回の映画は原作と敢えて変更しているシーンがあるのです。
「余命10年」に関しては以下も検索されています、ぜひ参考にしてください!
まとめ
余命10年ラストシーンの花束の意味は、流れから推測すると、茉莉のお墓参りに供える花束ではないかと予想します。
この白い花束の種類は「薔薇」で白いバラは、永遠の愛、新たな始まりという花言葉があります。
茉莉に対しての永遠の愛を持っていること、そして和人がこれから未来に進む決意をしたことを同時に表す白いバラを選らんで花束にして、お墓参りに向かっているのではないかと推測できます。
そして電話の相手は一緒にお墓参りに行くであろう、タケルか沙苗ではないかと思います。
この余命10年の原作者は、茉莉と同様の病気で逝去しています。そしてその闘病中にこの余命10年の作品を仕上げました。