風の谷のナウシカは、宮崎駿監督が1984年に公開したアニメーション映画。人類が巨大な生命体「腐海」に追いやられた未来の世界を舞台に、風の谷の王女ナウシカが平和を求めて戦う物語。
この作品は、駿監督の代表作のひとつとして高く評価されており、今もなお多くのファンから愛されています。
ラストシーンは、多くの謎や疑問が残されてました。ナウシカが腐海の中心にいる巨神兵と対峙し、自ら犠牲となって世界を救います。その後、腐海は青く変色し、植物や動物が再び誕生するのです。そして、画面には「おわり」という文字が現れます。
この「おわり」の意味は何なのでしょうか?また、ラストシーンに登場する墓みたいなものはどういう意味があるのか?
この記事では、風の谷のナウシカのラストシーンについて、以下の見出しで解説していきます。
風の谷のナウシカの最後のシーンについて
映画では、ナウシカはトルメキア軍が復活させた敵を追って腐海へと向かいます。そこで彼女は、腐海が人類を滅ぼすために作られた生物兵器であり、その中心には巨神兵が眠っていることを知ります。巨神兵は人類を滅亡させるために目覚めようとしており、それを止めるためにナウシカは飛行棒で突撃します。
しかし、巨神兵はナウシカを捕らえて炎で焼き尽くそうとします。その瞬間、彼女は敵に向かって叫びます。「やめて!やめて!私たちは生きているのよ!」この訴えは、巨神兵のプログラムに影響を与えました。ナウシカを放し、自らの炎で自滅し、彼女も巨神兵の崩れる中に消えていきます。
その後、腐海は青く変化し、動植物が再び生まれます。これは、ナウシカが敵に伝えた言葉が、腐海の本来の目的である地球を清め再生を促したのでしょう。腐海は、人類を滅ぼすためではなく、人類と共存するために変化したのです。
風の谷のナウシカの最後のシーン「おわり」の意味とは?
【風の谷のナウシカ】
— 情景師アラーキー (@arakichi1969) January 13, 2017
その後のジブリシリーズの祖になった、名エンディング。
『おわり』 pic.twitter.com/Kg9RVhqUB3
最後の「おわり」の意味には、さまざまな解釈ができるでしょう。
・駿監督が、映画として完結させるためにつけたものであり、原作漫画とは異なるエンディングに仕上げたい思いが込められているのではないか。監督は、映画ではナウシカが死で物語に決着をつけました。そのため、「おわり」は映画版風の谷のナウシカの物語としての終わりといった意味があるのかもしれません。
・彼女が、巨神兵に伝えた言葉が腐海に影響を与えたことで、腐海が変化し始めたことを示したものかも。腐海は人類を滅ぼすために作られた生物兵器でしたが、彼女が人類と腐海の共存を訴えかけたことで、プログラムが変更されました。
腐海は人類を終わらすだけでなく、地球を清め再生することを目的とします。「おわり」は腐海の時代が尽きて、新時代が始まったことを表したものかもしれません。
・ナウシカは自らを犠牲にして平和を求めました。その姿は、観客達に自然や他者への理解、尊重を伝えたかったのではないか。「おわり」の文字は、映画が終わったことだけでなく、観客に対しても物語から学んでほしいという願いが込められているのかもしれません。
飛行棒と植物の芽の意味
飛行棒は彼女が腐海や巨神兵に立ち向かうための武器でもあり、意志や勇気を表現する道具でもあるのです。
植物の芽は腐海から持ち帰ったものであり、腐海の中にも生命の証があることを示しました。植物の芽を大切に育てて、彼女の愛情や優しさを表しているのです。植物の芽はナウシカが巨神兵に訴えかけた言葉によって青く変色し、新しい命を生み出します。芽は、ナウシカの願いや希望を表す証でもあるのです。
ラストシーンの墓のようなものはナウシカの?
ラストシーンに墓のようなものが登場します。ナウシカが巨神兵によって焼かれた跡であり、彼女がそこに眠っていることを意味するのでしょうか。
すべての生命や歴史が終わったことを連想させているのかもしれません。同時に、新しい生命や歴史の誕生も表しているのでしょう。この墓は、映画全体を総括するメタファーなのです。
この墓は、ナウシカが本当に死んだかどうかに関係なく、彼女が世界に与えた影響を表しています。自らを犠牲にして巨神兵を止めることで、腐海や人類、地球に新しい可能性を与えたのです。
墓はナウシカが、世界を救ったことを称える慰霊碑とも捉えられます。
まとめ
風の谷のナウシカでは、ラストシーンに墓が登場しますが、これはナウシカのものだけでなく、映画のテーマやメッセージを表す象徴でもあります。
それは、終わりと始まり、死と生、破壊と創造の対比を描くために用いられているのかもしれません。ナウシカの物語が終わったことだけでなく、新しい物語が始まったことも示しているように思えます。
映画としてだけでなく、人間としても学ぶべきことがある作品ですね。